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現代にはプラグマティズムが必要?『プラグマティズムの作法』 [読書]

 興味はあったのですが手がつかなかったプラグマティズという言葉に引かれ、藤井聡『プラグマティズムの作法-閉塞感を打ち破る思考の習慣-』を息子から取り上げ読んでみました。著者が京大の工学系統の教授ということのあり、取り上げているテーマもなじみあるものであり、スムースに読めました(出版も技術評論社)。
 著者は、記号論の創始者の一人パースが提唱したプラグマティズムの規律(格率)を「人間、何をやるにしても、それが一体何の目的や意味があるのかを、見失わないようにしましょう」と読み替え、それをベースに「より上位の目的を含めた目的と連関の組み換え→プラグマティズム転換」を提唱します。さらに、その実践の考え方として、ヴィトゲンシュタインの言語ゲームを取り上げ、やろうとしていることがどのようゲームかまた何処に位置付けられるかを常に意識していることが大切と説きます。
 このような著者独自のプラグマティズムの観点から、現在の日本の学会、経済政策やビジネス活動を批判し、プラグマティズムの不足が現在の日本の停滞の原因だと主張します。
 プラグマティズムが重要だとする主張、またパースとヴィトゲンシュタインを結びつけた着眼は面白いと思うのですが、プラグマティズムを実践すればなんでも解決するという後半は首を傾げながらよみました。

失敗(事故)の構造分析、『失敗学のすすめ』 [読書]

 ヘンリー・ペトロスキー『フォークの歯はなぜ四本になったか』では、人工物(実用品)の進化の原動力は、使い勝手の悪さ(失敗)であると書かれています。私もこれまで数々失敗を重ねてきましたので、これを契機に、前から気になっていた畑村洋太郎『失敗学のすすめ』を読んでみました。
 この書でも、失敗は創造の源であると説いていますが、失敗(事故)がどうやって生じるか、またそれをどうやって創造に結びつけるかをシステムの開発側に重点をおいて書いています。
 失敗を「人間が関って行うひとつの行為が、はじめに定めた目的を達成できないこと」と定義し、事故というマン・マシンインターフェースへの体系的な接近を試みた良い本です。
 印象に残ったのは、事故には構造があるということです。事故がおこると、どうしても事故自体また事故の当事者に目が向きがちですが、再発防止のためには、事故の構造(組織運営の不良、企業経営の不良、行政・政治の不良)まで含めた事故の全体像を明らかにする必要があるという主張は、記号論における構造分析と共通点があり、勉強になりました。
 読んでいて、頭に浮かぶのは、やはり福島第1原発の事故のことです。本書は、失敗また事故の再発防止には、失敗情報(事象、原因、対処、総括)の知識化と伝達が必要と説きますが、それがどこまで行われているかあまり伝わってきません。一方、定検中の原発の再稼動の動きはどんどん進んでいきます。ちょっと、ミスマッチを感じるのは私だけでしょうか。

「ボストン美術館 日本美術の至宝」を見てきました [絵画]

 3月24日(土)、東京国立博物館へ家族で、「ボストン美術館 日本美術の至宝」を見に行ってきました。お目当ては、「平治物語絵巻 三条殿夜討巻」です。朝日新聞社『名画日本史』で、平治物語絵巻のことを知り、見てみたいという思いが募っていたのですが、三条殿夜討巻はボストン美術館にあるため、見るチャンスはないかなとあきらめていました。娘から、ボストン美術館展のことを教えられ、出典リストの中に、三条殿夜討巻があることを知り、わくわくしながら出かけました。 さいわい、見学者はあまり多くなく、比較的、ゆっくり見ることできました。
 13世紀後半に描かれた絵巻は大迫力で、躍動する荒々しい武士の群、後白河上皇に牛車への乗車を迫る武士の姿、後白河上皇側の家来の首を討つ場面、三条殿で上がる紅蓮の炎、源義朝(?)を先頭に意気揚々と引き上げる源氏勢、に目をひきつけられました。
 隣に展示されている12世紀後半の「吉備大臣入唐絵巻」も、ユーモア溢れる作品で、楽しめました。
 しかし、このような多くの名画や仏像を流出させた明治政府の文化政策の貧困さを嘆くべきか、ボストン美術館でそれらを系統的に収集した岡倉天心の先見の明を賞賛すべきか、ちょっと複雑な思いで帰ってきました。

パース流の芭蕉、ソシュール流の蕪村 [思いついたこと]

 記号論の創始者はパースとソシュールです。パースの記号モデルは、表現項、対象項それを結びつける解釈項の3要素から構成されています。パースの記号モデルが使われる場合、対象項はこの世界に実在するものをさすことが多いように思います。芭蕉の句を記号と捉えると、対象項は実在をさしているのが多いのではないかと思えます。「静けさや岩にしみいる虫の声」、「五月雨をあつめて早し最上川」、「荒海や佐渡によこたふ天河」
 ソシュールの記号モデルは、表現項と内容項からなる2項モデルであり、内容項は実在に限定されず、我々の中に引き起こされる意味です。蕪村の句には、しばしば想像によって作ったと思える句があり、びっくりさせられます(私は、それが好きですが)。「うつつなきつまみごごろの胡蝶哉(映画:西部戦線異状なしを思い浮かべなした)」、「お手討の夫婦なりしが更衣(ころもがえ)」、「鳥羽殿へ五、六騎いそぐ野分哉」
 芭蕉の句を読みながら、ふと思ったことです。

『太極拳経(論)』の中の2項対立 [太極拳]

 「太極は無極にして、動静の機、陰陽の母なり」で始まる太極拳経(論)は、太極拳のバイブルであり、太極拳を練習されている人は一度は読まれたことがあると思います。この太極拳経は、内容が大変深く、私にとって理解できているとはとても言えませんが、読んでいるうちに、記号論の視点からみても、大変興味深い文章であることに気付きました。
 テクストの意味を探る記号論の手法に、範列分析があります。そこで多用されるのが2項対立を見つけ、テクストにどのようなカテゴリーが含まれているか見出す方法です。太極拳経で使われている2項対立をいくつか拾い出してみました。陰/陽、剛/柔、背/順、走/粘、双重/陰陽、近き/遠き ‥‥
 2項対立を多用は、太極拳経を非常にリズミカルで読みやすい文章にするとともに、太極拳を練習する上で守るべきことを我々に教えてくれます。私が注意しなければと思っている2項対立は、剛/柔、背/順、双重/陰陽(避けるべきこと/守るべきこと)。

人工物の進化論、『フォークの歯はなぜ4本になったか』 [読書]

 現在、我々は人工物にとりかこまれています。しかも、おなじ機能をもつものが、多数あります。テレビパソコン携帯スマートフォンを見れば、その種類の多さに驚かされます。ヘンリー・ペトロスキー『フォークの歯はなぜ4本になったか-実用品の進化論-』(忠平美幸訳)は、人工物が多様化していく過程を追ったユニークな本です。
 ペトロスキーは、人工物の「形は機能にしたがう」のではなく「形は失敗にしたがう」と主張し、その妥当性をみじかにあるもの、フォーク、クリップ、ファスナー、飲み物の缶などを取り上げ、論じていきます。人工物の本質的な特性の一つとして、欠点のない最適なものがいきなり発明されるのではなく、かならず欠点つまり失敗があり、それを見つけ改良する努力が、人工物を進化・分岐させる原動力になるという説です。
 自然や生物について論じた自然科学系の本は数多くありますが、現代生活に決定的な影響を及ぼしている人工物に関して体系的に論じている本はあまり見当たりません。人工物に関する一般理論としてはサイモンの『システムの科学』がありますが、それが人工物の共時態を論じているのに対して、本書は人工物の進化つまり通時態を論じていると言えます。その点からも興味深いアプローチでした。

不特定多数・無限大の時代を実感、「初音未来」と「着信御礼!ケータイ大喜利」 [記号論の勉強に役立つ映画]

 NHKで初音未来のコンサートの映像を見て、ビックリしました。初音未来は実在の歌手でなく、ネット上のバーチャルな人気歌手です。彼女の映像を大型スクリーンに写し、その前に大勢の若者が熱狂していました。このネット世界と実世界の境界が薄れているという現実にショックを受けました。さらに、私が興味を惹かれたのは、初音未来の歌やその映像が専門家によってつくられたのではなく、大勢の若者によって創造されたといういうことです。インターネットにより、不特定多数・多数の時代が来たといわれますが、初音未来というスーパースターを知り、不特定多数・無限大の力を実感しました。
 もう一つ、NHKで土曜日の深夜12時から放送されているライブ番組「着信御礼!ケータイ大喜利」です。これは、20万人のケータイの投稿から成り立っている番組です。あるお題がだされ、回答が携帯から送られてくるバラエティ番組ですが、秀逸な回答には、大いに笑わされます。「笑点の大喜利」で同じジャンルのお題が出されることがあり、落語家の回答を聞きながら、これは「ケータイ‥‥」の方が、良かったなと思ったこともありました。
 いよいよ、メディアは本格的な不特定多数・無限大の時代の時代、逆に専門家受難の時代に入っていくのかもしれません。メディアに関連する専門家、頑張れ!

「開運!なんでも鑑定団」を見て、価値について考える [記号論の勉強に役立つ映画]

 テレビ東京の人気番組「開運!なんでも鑑定団」が好きで、よく見ています。ただ、見るたびに価値ってなんだろうと考えてしまいます。記号論では、記号の価値は、ある体系のなかの差異から生じます。しかし、なんでも鑑定団ではその名のとおり、なんでも、絵画、書、焼き物、古いおもちゃなどいろいろなものの価値を決めていきます。
 本来、物の価値は所有者やおなじ価値観を持つ人にとっての価値であり、古伊万里の壷と古いブリキの自動車のおもちゃの価値を比較できるはずがありません。しかし、「開運!なんでも鑑定団」では、単一の評価基準を持ち込みます。その評価基準とは、お金です。つまり、異なる分野の専門家が鑑定品の価値をお金に投影し
します。いったんお金に投影されれば、所有者の価値観など問題でなくなり、あたかも客観的な価値があるように我々は思い込みます。なんでも記号化され、価値があいまいになる現在、存在しない客観的な価値があるように思わせるこの番組を企画した人は、大変、先見の明があったとおもいます。
 また、物神化というのは、このように進むのだと勉強になりますし、日本各地には貴重なものがまだ沢山、残っているものだと感心させられます。

「フェルメールからのラブレター展」を見てきました [絵画]

 3月3日(土)のひな祭に、渋谷に「フェルメール展」を見に行ってきました。フェルメールは好きで、東京にきた時は、見に行くようにしています。「白い真珠の耳飾の少女」や「牛乳を注ぐ女」のようなインパクトはないけれど、相変わらず上手いというのが感想でした。この展覧会の特徴は、同時代の風俗画が数多く、展示されていたことで、それらを見てフェルメールの絵を見ると、すっきりした構図や光の描き方など、群を抜いていたことが良く分かりました。
 その他、いろいろ興味深い絵もありました。たとえば、ヤン・ホーン「生徒にお仕置きする教師」。中世のヨーロッパでは、子供教育は大変厳しく、教室からはいつも子供の悲鳴が聞こえていたというという話を読んだことがあるのを思い出し、ああそうかと思いました。
 またコルネリス・ビスホップ「書斎の学者」では、学者が印刷された厚い本の読んでいます。今なら、当たり前の風景ですが、17世紀前半つまり江戸時代初期です。それを考えると、グーテンベルクの印刷術がいかに大きな影響をヨーロッパにもたらしたか、ちょっと納得できました。
 いろいろ、勉強になりました。

太極拳とデジタル情報 [太極拳]

 太極拳の基本は陰陽です。陽を1、陰を0とすれば、太極拳の動きは、1と0のビット配列で表現され、太極拳はそれを実行するコンピュータであるという魅力的な説を唱えるのは、私の太極拳推手の師である楊進先生です。私は、そんな楊先生に惹かれ、推手を10年以上続けています。
 確かに、太極拳をデジタル情報で記述される統語情報と考えると、いろいろなことが見えてきます。いろいろなビット情報、つまりいろいろな陽と陰の組合せが考えられますから、それに応じたいろいろ技(動き)が考えられます。そのため、いろいろな太極拳が生み出されました。私の練習しているのは楊名時太極拳24式ですが、108式という太極拳もあり、バラエティーに富んでいます。
 では、デジタル情報をデコードするコード、つまり情報を形にするのはなんでしょう。それは流派です。太極拳には、陳式、楊式、呉式、武式や孫式といろいろな様式があり、同じ名称の技でも動きがちがいます。つまり、それぞれの流派の創始者が考えたデコードの方式が異なるため、動きが違ってきたと考えられます。
 では、新しい情報つまり新しい陰陽の組み合わせそのデコード方式は生まれる可能性はあるのでしょうか。楊進先生は、太極拳は固定したものでなく、進化し続けるといっています。では、その進化を生み出す原動力はなんでしょう。キーワードは健康だと思います。いま、太極拳教室のキャッチフレーズが「身体(からだ)・心に良い太極拳」からも、これが読みとれます。
 太極拳を、むりやり統語情報と結び付けてみました。
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